35.東京琴

 表紙に戻る

わが国における筝曲の発祥は 九州・久留米の善導寺の僧賢順(けんじゅん)が 雅楽と琴曲の影響を受けて筑紫流(ちくしりゅう)といわれる曲を 室町時代の末期に大成したことに始まります。
筑紫流はその後、 八橋流(やつはしりゅう)を経て生田流、山田流を生みだしました。
18世紀に江戸の山田斗養一(宝暦7年、1757年生まれ)は 従来の筝曲が三味線の伴奏役であったのに対し、 琴を主演奏楽器として曲を作りました。
山田流、山田検校(斗養一)は大変な美声の持ち主であったので 江戸の人気を得たといわれ、 爪や楽器の改良も行い現在の「山田琴」の原形を作りました。
さらに山田流の曲に合わせて 琴師重元房吉(しげもとふさきち)が楽器の改良を行いました。
房吉は琴の長さを6尺にし(従来より3寸短い)、 琴の厚みもそれまでのものより厚くし、 ムクリ(縦方向のソリ)を強くして音量の増加を図り、 かつ琴爪を大きくしたので音質も明瞭になりました。
これが東京琴の特徴であり、 現在、山田流、生田流を問わず広く使用されています。
コトを表す漢字に「筝」と「琴」があります。 筝は現在、普通にコトと読んでいる13弦の楽器をさし、 琴は正確には柱(じ)を用いない7弦の楽器で 「きん」と読みます。
現在では常用漢字の中に琴の文字しか含まれていないため、 筝より琴の方が実際にはより多く使われています。 琴に使われる材料には、桐、紅木、紫檀など。 また琴の糸には絹糸が使われています。