29.東京彫金

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金属工芸、とりわけ彫金の技法は古墳時代後期、 渡来工人によって伝えられました。
今も残る冠帽や飾沓などの装身具、馬具などを見ると、 この頃には毛彫や透彫などの 基本的技術が定着していたようです。
平安時代も終わりに近づき武士階級が台頭すると、 彫金は刀剣・甲冑・金具に装飾として 施されることが多くなりました。
室町時代に現れた後藤祐乗(ゆうじょう)は彫金中興の祖と呼ばれ、 格式を重んじる作風が”家彫”として後世に残っています。
江戸時代、太平の世が続くと刀剣は実用品から 意匠の面白さを競う鑑賞本位のものへと変化し、 この時期、多くの彫金職人が現れ、 精密な小型の彫刻製作の技術が完成しました。
後期には、公家出身の横谷宗a(よこやそうみん)が 墨絵の筆勢をそのまま鏨でひょうげんした片切(かたきり)彫刻の技法を生み出し、 その斬新な作風は、 宗a自身が武家よりも町民たちとの交わりを好み、 野にあって腕をふるったことから、 京都風の”家彫”に対して、”町彫”と呼ばれました。
これは刀剣ばかりではなく煙管や根付けにも用いられ、 新しい流行を生み出しました。
明治維新の廃刀令で彫金の仕事は少なくなりました。
しかし、従来の技術を応用して 新時代の生活に合った作品づくりに転換し、 政府の産業振興政策もあり、 ドイツ・ニュールンベルグ金工万国博覧会(1885)に 出品された作品は好評を博しました。 金属の加工方法は、大きく鍛金・鋳金・彫金に分けられますが このうち彫金は金属加工の総仕上げともいえます。
江戸時代に生まれた”町彫”の技法を今に伝える東京彫金は、 鏨ひとつで丹念に彫り、様々な模様を描き出し、 さらに独特な着色方法とあいまって、 洗練された味わいを持つ作品が誕生します。


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