12.東京仏壇

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今日仏壇といえば、箱型の置仏壇を思い浮かべます。 しかし、本来は、寺院などで仏像を安置する台座のことを 指していました。 文字どおり「仏像を安置する壇」ということであり、 木のほか土や石でもつくられていました。 石製のものは、インドや中国の石窟のものを源流にして いたようです。 日本へ仏教が伝来したへのは、 飛鳥時代の538年(一説には552年)百済国の聖明王が 仏像及び経巻を献上したのが最初とされています。 同じく685年には、時の天武天皇が 「諸国に、家毎に、仏舎を作りてすなわち仏像及び経を おきて礼拝供養せよとのたまう」と記されています。 この宣旨(天皇のお言葉)が 次の奈良時代における 国分寺、国分尼寺の建立につながるともいわれます。

平安時代までは仏教はまだ貴族のものでありましたが 鎌倉時代になると仏教も、 貴族仏教から武家仏教へと変化していき、 法然、親鸞、日蓮などの布教により 庶民の間に広まっていきました。

徳川幕府は、幕府を頂点とした封建制確立のため、 仏教に対する保護と強化を進め、 過去帳の整備により寺院の力も大きくなり 都市には多くの寺院がたてられるようになりました。

東京仏壇は、元禄のはじめ、 江戸の指物師が、仕事の合間に桑や欅などの堅木材を使い、 独自の技術・技法によって比較的淡白で飾りの少ない 仏壇を作りだしたのが始まりとされています。 そして、仏壇に黒檀、紫檀などの唐木材を最初に使った人が、 江戸仏師で三代目安田松慶(しょうけい)(1840年ころ)だと いいつたえられています。

今、東京仏壇はこれらの技術を綿々と受け継ぎ、 その優美さは見るものを魅了し、 自然と頭を垂れずにはおられない不思議な荘厳さを備えています。