7.多摩織

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かいこ(蚕)飼ふ 桑の都の 青嵐 市のかりやに さわぐ諸びと これは、天正年間(1573-92年)における八王子城下の 市場の賑わいを歌ったものです。
桑の都と呼ばれた八王子は、 古くから養蚕と織物業が盛んで、この地では様々な織物が織られ続けてきました。
今日、多摩織とは、御召織(おめしおり)、風通織(ふうつうおり)、 紬織(つむぎおり)、もじり織、変り綴の五つの織物の総称ですが、 これらは 八王子織物の長い歴史の集大成であるといえます。
京都の加茂川、桐生、足利の渡良瀬川に例をとるまでもなく、 清流のほとりには優れた機織りの産地が発展しています。
多摩織のふるさと、八王子も例外ではなく、 武州・相州・甲州の国境に源を発する秋川 浅川の流れに囲まれ この流れとともに織物の歴史を刻んできました。
かつて八王子の市は、毎月4の日と8の日に開かれました。
八王子の横山や八日市で開かれた市場が八王子織物を主要商品として この地域における商業圏に重要な役割を果たすようになるのは 徳川家の関東移封後と考えられます。
八王子は武州と甲州の境に位置するために 軍事上の枢要な地として関東総代官所及び千人同心が置かれ 江戸西域の防衛にあたりました。
このことが八王子の地位を高めることになりました。
多摩織の生産工程の特色は、分業にあります。
織物業、意匠紋紙業、糸染業、糊付業、整経業、絣加工業、 捺染加工業、撚糸業、機拵業、整理加工業といった工程ごとに分化し 専門化した職人が多摩織独特の渋い味わいを作り出しています。