39.東京硝子

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1.日本における硝子製造
日本の硝子製造は、弥生時代にはじまり、
平安時代から室町時代にかけては中断したが、
16世紀から17世紀にかけて
中国やポルトガル、オランダから製法が伝えられ
復活したと伝えられている。
これは、硝子をかつて、
瑠璃、はり、ビードロ、ギヤマンと呼んでいたことからもでもわかる。
2.東京(江戸)における硝子製造
江戸における硝子製造は、18世紀の初めに
日本橋通塩町で加賀屋(皆川)久兵衛が鏡や眼鏡等を、
浅草で上総屋留三郎が簪や風鈴等を製作したのがはじまりとされている。
なお明治10年に開催された第1回内国勧業博覧会の出品目録には、
加賀屋久兵衛とその子熊崎安太郎の名前が記載されている。
3.硝子製造業者の組合
明治12年に”東京はり製造人組合”が設立され、
その後の改変を経て、
昭和24年に会員の親睦、情報交換、連絡調整を図ることを目的に、
社団法人東部硝子工業会が設立された。
4.特長
近世におけるガラスの製造は、
長崎から大阪、京都を経て江戸に伝わったものであり、
日常食器類や壜等の製造に加え、佐久間象山等の要望を受けて
寒暖計や比重計等の理化学用品が作られるようになった。
明治初期には、欧州の近代技術も取り入れ、
多様なニーズに対応するようになり、東京の地場産業として発展した。