38.東京七宝

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江戸初期、平田彦四郎(道仁)は朝鮮からの渡来人に七宝技術を学び、凹部に色付けしたと言われています。 この方が我々東京七宝の祖であり彼は徳川幕府のお抱え七宝師として名作を残しました。 左、刀の鍔は彼の名作として知られています。平田家は代々江戸に住んで明治初期までその技術は門外不出とされて来ました。
慶応3年パリで第5回万国博覧会が開かれた時、日本の権威を海外に宣揚しようとして、幕府も使節団を派遣しました。そのとき薩摩藩が パリの勲章師にレジョン.ドヌールというフランスの勲章をかたどらせた「薩摩勲章」を作りナポレオン3 世以下に贈り好評を博した。このことを機に勲章の認識が高まり時の新政府は元老院の前身左院で賞牌制を設けることが論ぜられ、明治6 年その製造が造幣寮に依頼あり、当時七宝作業の経験がなく旧幕府時代の七宝家元であった。 平田春行が明治後の旭日章となります。

左図が旭日一等大受章です。この勲章が東京七宝の元祖という事になります。現在我々組合の七宝製作はこれをベースとして他方面に作品を供給しております。女性装身具、紳士装身具、カーマーク、ゴルフマーカー、校章、社章、その他其の用途は非常に多いといえます。


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