23.江戸押絵羽子板

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師走の声も中頃、17日から19日までの3日間、 台東区浅草寺の境内で江戸の昔そのままに羽子板市が開かれます。 三方の壁にびっしりと羽子板を飾り立て、 色とりどりの羽根とともに、景気のいい手打ちが響き渡り、 年の瀬を迎える名物行事の一つです。 羽子板は、古くは「胡鬼板」(こぎいた)や「羽子木板」(はねこいた)とも呼ばれ 羽子(羽根)は、「胡鬼の子」「はごの子」「つくばね」とも呼ばれていました。 室町時代の永享4年(1432)正月5日に、 宮中で宮様や公卿・女官などが集まって、 男組と女組に分かれ「こぎの子勝負」が 行われたと記録に残っています。 当時の羽子板には、板に直接絵を描いた「描絵羽子板」(かきえはごいた)や、 紙や布を張った「貼絵羽子板」(はりえはごいた)とともに、 胡粉で彩色し、金箔、銀箔等を押したり 蒔絵をほどこした豪華で華美な「左義長羽子板」(さぎちょうはごいた)もありました。 一方、江戸時代に入ると、厚紙等の台紙に布を貼ったり、 あるいは布に綿をくるんで厚みを持たせた部品をつくり、 それらを組合わせて 立体的な絵を作る「押絵」の技術も発達してきました。 江戸時代の文化文政期(1804−29)になると、 町人文化が発達し、歌舞伎の隆盛とともに、 浮世絵師が数多く活躍し多くの出版物が出されました。 こうした時代を背景に押絵の技術が進歩し、 歌舞伎役者の似顔絵を付けた「役者羽子板」がつくられるようになり、 爆発的な売れ行きをしめしました。 年の瀬ともなると、その年の人気役者の当り狂言や舞台姿を、 競って求めるようになり、 羽子板の売れ行きが人気のバロメーターともなりました。